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   1   1. ミニコンと木村泉先生
   2 
   3 
   4   2. 木村 泉 先生
   5 
   6 木村先生はワインバーグの著作を多数翻訳された。 それら以外の著書もあるの
   7 で、そちらを取り上げたい。 /イーグル村通信
   8 <https://moin.qmail.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B3%89%E5%85%88%E7%94%9F/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E6%9D%91%E9%80%9A%E4%BF%A1>
   9 についてはひとこと書いた。
  10 
  11 まずは /プログラム書法(初版)
  12 <https://moin.qmail.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B3%89%E5%85%88%E7%94%9F/%E3
  13 %83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%9B%B8%E6%B3%95%28%E5%88%9D
  14 %E7%89%88%29>、 そして、 /莫迦話
  15 <https://moin.qmail.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B3%89%E5%85%88%E7%94%9F/%E8%8E%AB%E8%BF%A6%E8%A9%B1>
  16 (教育とミニコン関連) である。
  17 
  18 入出力、かな漢字変換、日本語処理については、/日本語
  19 <https://moin.qmail.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B3%89%E5%85%88%E7%94%9F/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E>
  20 に集めた。
  21 
  22 あとは/プログラミング・シンポジウム
  23 <https://moin.qmail.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B3%89%E5%85%88%E7%94%9F/%E3
  24 %83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BD%A5%E3
  25 %82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0>関連の思い出がある。
  26 
  27 /ミニコン
  28 <https://moin.qmail.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B3%89%E5%85%88%E7%94%9F/%E3
  29 %83%9F%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3>はいろんな場面に顔をだすので、項目とし
  30 てまとめた。
  31 
  32 個人的な話は省略した。
  33 
  34 1986年からの4年間は 総合情報処理/センター長
  35 <https://moin.qmail.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B3%89%E5%85%88%E7%94%9F/%E3
  36 %82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E9%95%B7>をされていた。 スーパーコン
  37 ピュータ導入を始めとして激動の期間だった。 センター長お疲れさまでした。
  38 
  39 木村先生と書いてきたが、私にとっては「隣の家の楽しいお兄ちゃん」という感じ
  40 でした。
  41 
  42   * その受け止め方がよくなかったのかと思うこともあるけど、 
  43 
  44 いまは「お兄ちゃん、ありがとう」と。
  45 
  46 そして、自分の過去を振り返るきっかけをいただいた角田博保さんにもお礼を申
  47 し上げる。
  48 
  49 前野年紀
  50 
  51 
  52   3. 木村泉先生/イーグル村通信
  53 
  54 「韋編三絶」  何度も読むうち、とじひもが三回も切れた
  55 
  56 ワインバーグさんの話は難しい。
  57 
  58 
  59     3.1. 第50回 早めにもうろくするための方法
  60 
  61 いま読み直してみるとすんなりと受け入れられることでも、 最初に読んだとき
  62 にはなにを言っているのかわからないことがよくあった。
  63 
  64 経験を重ねたことも影響しているのだろう。
  65 
  66 木村先生はどういう思いで訳されたのか。
  67 
  68 楽しんで読むのが重要であり、そこからなにか得られれば、訳者にも喜んでいた
  69 だけるのでないか。
  70 
  71 前野年紀
  72 
  73 
  74   4. 木村泉先生/莫迦話
  75 
  76 N. H. K. の三人の著者による連載記事
  77 
  78   * 共立出版 雑誌 bit 連載 1972年から、... 
  79 
  80 のちに、
  81 
  82   * 「計算機科学の発想」 単行本 – 1981年5月 
  83 
  84 としてまとめられた。(連載の半数が納められている。) お三方の本名は明かさ
  85 れていない。(知るひとぞ知る。だが今となってはどうか。)
  86 
  87 三人の著者による座談会の回が特に興味深い。 当時の背景を思いやりながら読
  88 むと、今でも面白い。(HさんとKさんのやりとりは漫才のよう。) お持ちでない
  89 方は図書館で探してみてください。
  90 
  91 木村先生が書かれたミニコン関連話にはイニシャル(H. K. 君など)で木村研関係
  92 者が複数登場する。
  93 
  94 多くの話は愚痴のような気がするが、教訓も得られる。読み直して理解できたこ
  95 ともある。
  96 
  97 木村先生の持論は(計算機)専門家養成のためには「ボタン押し」をやらせるだった
  98 かと。
  99 
 100 
 101     4.1. ミニコンの世界
 102 
 103 背景になっている当時の環境を少し書いておく。 ミニコンとは 4K語から16K語
 104 程度の主記憶(コアメモリ、後に半導体メモリに置換え)をもつコンピュータをさ
 105 す。
 106 
 107   * 1語はおおむね16ビットである。 
 108 
 109 周辺機器(入出力)はテレタイプ(TTY)と紙テープリーダ程度。TTYは毎秒10字だっ
 110 た。
 111 
 112   * 紙テープによる入出力 (最大でも500字/秒) はあるが、HDDなどは標準では
 113     なかった。 フロッピーディスク(これも死語か)すらなかった時代である。 
 114 
 115 操作盤(コンソール)にあるボタンを押して操作する・できる。
 116 
 117   * メモリに直接書き込める。レジスターやメモリをランプに読み出せる。 プ
 118     ログラムの停止、実行もコンソールのボタンで指定できる。(break pointの
 119     設定はなかった。) 
 120 
 121 「計算機言語第一」という講義があり、ミニコンNEAC 3200を利用した演習もあった。
 122 
 123 
 124       4.1.1. メモリプロテクト騒動記
 125 
 126   * 結論: 手抜きのハードウェアの相手をするには手間がかかる。(対応できる
 127     部分はまだまし。) 
 128 
 129 Hitac 5020 でも似たような話があったと思うが、思い出せない。
 130 
 131 現在ではこんな話は自前で計算機を作るひとの間でしかできないだろう。 計算
 132 機設計が趣味というひとの登場を願う。
 133 
 134 
 135     4.2. 教育
 136 
 137 学科の学生には 「10年後でも役に立つ(陳腐化しない)教育」をということだった
 138 が、 実際にはどうなのか。分からない。
 139 
 140 
 141     4.3. ワークステーション、UNIX、ネットワークの時代へ
 142 
 143 1980年代からの30年ほどはハードウェアの性能向上がすざましくて、 並列処理
 144 以外のソフトウェア面での性能改善意欲を失わせるものだった。
 145 
 146 ネットワークの有り難さを知った時期でもあった。
 147 
 148 
 149   5. 木村泉先生/日本語
 150 
 151 目次
 152 
 153  1. 木村泉先生/日本語
 154     <#A.2BZyhnUWzJUUh1Hw-.2F.2BZeVnLIqe-.A.2BZyhnUWzJUUh1Hw-.2F.2BZeVnLIqe->
 155      1. IBM ゴルフボール
 156         <#A.2BZyhnUWzJUUh1Hw-.2F.2BZeVnLIqe-.IBM_.2BMLQw6zDVMNww.2FDDr->
 157      2. ラインプリンター
 158         <#A.2BZyhnUWzJUUh1Hw-.2F.2BZeVnLIqe-.A.2BMOkwpDDzMNcw6jDzML8w.2FA->
 159      3. 日本語ワープロ
 160         <#A.2BZyhnUWzJUUh1Hw-.2F.2BZeVnLIqe-.A.2BZeVnLIqeMO8w.2FDDXMO0->
 161 
 162 
 163     5.1. IBM ゴルフボール
 164 
 165 ミニコンに接続されていた TTY (テレタイプASR-33型) がシリンダーヘッドだっ
 166 たのに対し、 IBM セレクトリックタイプライターはゴルフボールヘッド (88文
 167 字?) を採用しており、 プリントヘッドを交換することで、出力する文字を替え
 168 られる。
 169 
 170 先生はかな文字ヘッドを作らせて、使われていた。 ひらかな主体の手紙をいた
 171 だいた記憶がある。
 172 
 173   * (漢字プリンタとか、かな表示のディスプレイはその後だろう)
 174       o Facom 230-45S のコンソールの近くに置いてあった記憶がある。 
 175 
 176 https://ja.wikipedia.org/wiki/IBM_Selectric_typewriter
 177 <https://ja.wikipedia.org/wiki/IBM_Selectric_typewriter>
 178 
 179 http://www1.cts.ne.jp/~clab/Old/Old3.html
 180 <http://www1.cts.ne.jp/~clab/Old/Old3.html>
 181 
 182 セレクトリックタイプライターには画期的な訂正機能がありました。
 183 
 184   * 訂正用の白いリボンが付いていて、ミスタイプした箇所へ戻ってミスタイプ
 185     したのと同じキーを叩くと、その字を消してくれます。 
 186 
 187 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC
 188 <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC>
 189 
 190 
 191 1978年には「デイジーホイール」が開発され、
 192 
 193 http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/shef34.htm
 194 <http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/shef34.htm> APL
 195 
 196 
 197     5.2. ラインプリンター
 198 
 199 メインフレームでは漢字プリンタが開発されるまでは、大文字だけで英小文字す
 200 ら印刷できなかった。
 201 
 202 カタカナが印刷できたかは記憶にない。 事務用に利用されていたし、EBCDIK
 203 コード(日立用語) があったから、できたのかも。
 204 
 205 
 206     5.3. 日本語ワープロ
 207 
 208 /ワープロ徹底入門
 209 <https://moin.qmail.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B3%89%E5%85%88%E7%94%9F/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AD%E5%BE%B9%E5%BA%95%E5%85%A5%E9%96%80>
 210 岩波新書
 211 
 212   * 「松」を愛用しておられた。私も使って重宝した(何度か更新)が、値段が値段
 213     で一太郎に乗り換えた。 
 214 
 215 
 216   6. 木村泉先生/ワープロ徹底入門
 217 
 218 岩波新書 16 1988年3月
 219 
 220 パソコンでワープロ機能(ソフト)が使えるようになってきたころの話が中心かと
 221 思う。
 222 
 223   * K. B. 配列の比較など、興味深い。(5章 キーボードをめぐって) 専用ワー
 224     プロではなく、PC98上の一太郎(第二、第三版)を使って書かれた。 
 225 
 226 翻訳書の多い木村先生だが、これは翻訳ではない本のひとつだ。
 227 
 228 この本より前から日本語入力を研究されていたはずだが、かな文字を使った手紙
 229 をいただいたことくらいしか 思い出せない。あとはマクロ方式のかな漢字変換
 230 とか、漢字コードの話とかがあるはずだ。
 231 
 232 
 233     6.1. PC環境
 234 
 235 以下は自分の環境の話です。K. B. の話を除き、ほぼ余談。
 236 
 237 メインフレームでは行単位の入出力しかなくて、単語単位の変換が使えない。不
 238 便でした。
 239 
 240   * マクロ方式のかな漢字変換をテーマに修論を書いた髙木茂行君はもういない。 
 241 
 242 パソコンといってもほぼ PC9801 <https://moin.qmail.jp/PC9801> (NEC) で
 243 す。(V30という Intel 互換チップ利用)
 244 
 245   * 1985年7月発売とある。10MHzだった。当時としては大容量の384KB (増設
 246     カードで1MB増設した。) 
 247 
 248 Dvorak配列が日本語入力と相性がいいということで、最初は 粕川さんの作られ
 249 たアダプターを借りて、PC 9801本体とK.B.との間に挟んで利用した。 のちに
 250 K.B.ドライバ(ソフトウェア)に置き換えて、いろんな配列を楽しんだ。
 251 
 252 CとKを入れ替えるといいという話をしていただいた。(今だったら、DとKを入れ
 253 替えるのがいいかとも思う。)
 254 
 255 Dvorak配列はミニコンの時代から常用しており、Linuxを使っているいまも常用
 256 している。
 257 
 258 
 259     6.2. 端末
 260 
 261 PCはメインフレームのTSSを利用するための端末としても機能します。
 262 
 263   * 高い端末専用機を買うよりも、PCに端末エミュレータを載せた方がずっと安
 264     い。 
 265 
 266 しかも、端末エミュレータはサイトライセンスで安価に入手できた。(のち、学
 267 内開発のものも配布)
 268 
 269 
 270     6.3. 日本語エディタ
 271 
 272 当初は木村先生に倣って、 管理工学研究所の「松」、ジャストシステムの「一太
 273 郎」などを MS-DOSで使った。
 274 
 275 津田塾大の小川貴英さんのSSE日本語エディタが公開されてからは、もっぱらSSE
 276 で日本文を作成していた。
 277 
 278 
 279     6.4. メインフレームでの日本語入力
 280 
 281 ワープロ、PC以前はメインフレーム端末でローマ字入力し、行単位でかな漢字変
 282 換して、日本語文の作成を行なっていた。
 283 
 284   * カナ表示可能な端末は存在した。漢字表示可能になったのはいつか。 1985
 285     年以前 (1980年ころから) 
 286 
 287 行単位の入出力という制約があった。バッチ処理的な変換に頼ることになる。
 288 
 289   * 結果的にローマ字入力だけは高速になるが、正しく変換できたかの確認が行
 290     単位であり、 
 291 
 292   * その場でやりづらいという問題が起こる。 
 293 
 294 マクロ方式のかな漢字変換をテーマに修論を書いた髙木茂行君はもういない。
 295 
 296 パソコンを購入するの理由のひとつに文字単位の入出力ができることがあった。
 297 
 298 
 299   7. 木村泉先生/プログラミングシンポジウム
 300 
 301 https://prosym.org/prosyncontents.html
 302 <https://prosym.org/prosyncontents.html>
 303 
 304 
 305     7.1. 構造的プログラミングとその経験
 306 
 307 1975年7月の3日間に 発足したばかりの筑波大学で行われた。 木村先生と筧捷
 308 彦、辻尚史の両氏が幹事を担当した。 エアコンが使えないため蒸し風呂状態の
 309 教室での講演・議論だった。 工事中のキャンパス内の教室だったが、宿舎は立派
 310 だった。
 311 
 312 参加者46名の集合写真には木村先生手書きの名前表が添えられている。
 313 
 314 
 315     7.2. ミニコン話
 316 
 317 Hitac-10のシミュレータをFacom 230-45/S で動かしたという話を第16回../プロ
 318 グラミング・シンポジウム
 319 <https://moin.qmail.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B3%89%E5%85%88%E7%94%9F/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BD%A5%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0>
 320 (1975) でされている。とても、楽しかった記憶がある。(自分はHitac-10に関し
 321 てはエキスパートのつもりだった。) CAP/PTTでも拝聴したはずだが、記録には
 322 見当たらない。
 323 
 324 ------------------------------------------------------------------------
 325 
 326   * 「16. ミニコンピュータ用シミュレータの設計」 : 木村泉、飯島淳子、辻尚
 327     史 第16回 プログラミング・シンポジウム 
 328 
 329 島内剛一先生の「システムプログラムの実際」 (*)にあるシステムを「鑑賞する」の
 330 が目的だったと理解している。
 331 
 332   * (*) サイエンス社、 昭和47年 4月 発行 (1972年) 
 333 
 334 システムの一部であるSPAというアセンブラの性能を改善した話がでてくる。
 335 
 336   * アセンブル処理中でCPU時間をたくさん使っていたのが「名前表探索(順探
 337     索)」であった。 この探索作業をホスト呼び出し機能経由でF45Sの探索命令
 338     を使い高速化した、との話はいまも記憶に残っている。 
 339 
 340 ミニコンのシミュレータを中型機で動かすことの意味については、原著を読んで
 341 欲しい。 実機に触れることで得られるはずのものは得られないにしても、 シ
 342 ミュレータを動かすことの利点もある。(巨大なメモリとか、豊富な機器類など)
 343 デバッグにも有利だが、これは利点と呼べるかは分からない。
 344 
 345 前野はHitac-10を直接触ることができたので、SPAなどの良さは体感していた。
 346 
 347 
 348     7.3. ファイルシステムの調査
 349 
 350 第17回(1976) プログラミング・シンポジウム
 351 
 352 9  ファイルの内容に関する実例研究          木村 泉, 飯島淳子, 辻 尚史
 353 
 354 スペース(コード)が多いという話をされた。
 355 
 356 それに倣って、前野も総合情報処理センターのM-180でのファイル利用を調査し
 357 た。驚きの結果を得た。 ディスク上のファイルと言っても、ほとんどが紙カー
 358 ド(1枚80桁)イメージのままだった。 これなら、末尾の空白を取り除くだけで、
 359 占有領域は半分以下になる。(コード圧縮しないでも) だが、コンパイラーが対
 360 応していなかった。対応してもらうのに何ヶ月もかかった。
 361 
 362 メインフレームでは今後の変化に追従できないと思った。
 363 
 364 
 365   8. 木村泉先生/ミニコン
 366 
 367 NEAC 3200/50 (別名 Pontiac): ../莫迦話
 368 <https://moin.qmail.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B3%89%E5%85%88%E7%94%9F/%E8%8E%AB%E8%BF%A6%E8%A9%B1>
 369 でよく取り上げられている。読み直して欲しい。
 370 
 371 Hitac-10 はシミュレータを作って、動かしておられた。
 372 
 373 
 374     8.1. プログラム言語第一
 375 
 376 情報科学科の科目のひとつ、ミニコン NEAC 3200/50 を題材にして、 『"計算機
 377 の世界、という新しい自然界についての直感的理解に達すること。』を目標にさ
 378 れた。
 379 
 380 「自然界」には違和感があるが、専門家を養成するなら、いまでもやって欲しい内
 381 容だ。
 382 
 383   * 裸の計算機に接する機会はもうないか。(複雑になりすぎた。) 簡単なコン
 384     ピュータを自作する方法はあるが、「自然」とは言えない。 
 385 
 386 OHPフィルムに手書き、色付きのスライドを使って講義をされていた。見た方も
 387 多いと思う。
 388 
 389   * 大変な時間をかけられたと思う。 準備は講義の直前に行い、脳をリフレッ
 390     シュするのがよいとのこと。 
 391 
 392 手元にあるのは色なしの印刷版だ。
 393 
 394   * 今となっては細かい説明(ここまでやるんかい)もあると感じるが、 現物の
 395     計算機が目の前にあって、自分で確認できたのはいい経験になったことだろ
 396     う。 
 397 
 398 アセンブラはSPA(Hitac-10用に作られた島内システム)類似だから、移植された
 399 のか、記憶にない。
 400 
 401   *
 402 
 403     ../プログラミング・シンポジウム
 404     <https://moin.qmail.jp/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B3%89%E5%85%88%E7%94%9F
 405     /%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%EF
 406     %BD%A5%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0>を参照。
 407 
 408 前野年紀
 409 
 410 
 411   9. 木村泉先生/センター長
 412 
 413 1986年から4年間 総合情報処理センター長を務められ、UNIXとネットワークの普
 414 及に尽力された。 スーパーコンピュータ予算がついた激動の期間だった。
 415 
 416 センター長お疲れさまでした。
 417 
 418 
 419     9.1. 第二種の計算機利用
 420 
 421 センター長になられたときに、計算させることにしか目が向いていない利用者を
 422 説得するために書かれた記事がある。
 423 
 424 メインフレームはプログラミングの助けにはならない。
 425 
 426   * TSSが使えるだけではプログラムの編集にさえ不十分だ。 UNIXのgrepのよう
 427     なものさえ用意されていない。(sedもなかった。) 
 428 
 429 今後の計算機にはUNIXのような機能も必要だということだ。
 430 
 431 そして、PCやワークステーションはメインフレームとは異なるクラスの計算機で
 432 あり、 Groshの法則の範囲外であるというACMの論文を支持しておられた。
 433 
 434 
 435     9.2. ネットワーク
 436 
 437 東工大ネットワークの基礎づくりにも尽力された。
 438 
 439   * 飯島、池辺、木村、と三代のセンター長のもとで、ネットワーク(ハード
 440     ウェア)が培われていった。 
 441 
 442 木村センター長時代はその仕上げとも言える時期だ。 (PC Unixの普及も助けと
 443 なった。)
 444 
 445   * 利用者がいてのネットワークである、と強調しておられた。(管理者が利用
 446     者を振り回すな、という意味だったと思う。) ただ、若手との意見の違いも
 447     多少はあった。 (メール管理など管理コストの負担などについて) 
 448 
 449 
 450     9.3. スーパーコンピュータ
 451 
 452 日米貿易摩擦の影響で、スーバーコンの予算が付くことになった。(中曽根首
 453 相、日立スパイ事件) 1987年 ETA10+Sun WS群を入れた。 ネットワーク利用を推
 454 進する機会でもあった。
 455 
 456 前野年紀
 457 
 458 Moin2Qmail: ミニコンと木村泉先生 (最終更新日時 2021-07-21 16:52:07 更新
 459 者 ToshinoriMaeno <https://moin.qmail.jp/ToshinoriMaeno>)

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